ウィキペディア街道「大山道」ふりかえり

Wikimedia Advent Calendar 2018 | 24日目

先日、第20回イベントの開催をもって終了したばかりのウィキペディア街道「大山道」の4年間をふりかえります。

ウィキペディア街道「大山道」とは

ウィキペディア街道は、旧街道沿いの名所旧跡などの歴史・文化情報をインターネット上の百科事典・ウィキペディアに掲載して世界に発信するプロジェクトです。江戸時代に大山詣りで賑わった大山道(青山通り大山道)を対象とし、街道の通る港区、世田谷区、川崎市、横浜市、大和市、海老名市、厚木市、伊勢原市でイベントを開催しました。


前史

2014年には、Code for Kanagawaと神奈川県の共同で旧東海道をテーマとしたオープンデータ利活用の活動をしていました。12月に開催したハッカソンで一区切りつき、年が明けて間もなく、中心人物だった東京都市大学の上野直樹教授が亡くなられると活動を終了しました。その後「旧街道アプリ&街歩き」というFacebookグループを作り、ハッカソンで開発したアプリを持ち寄っての街道歩きを始めました。
そのような時期に開催された「ウィキペディアタウン・ファシリテータ養成講座」に参加したところ、「ウィキペディア街道」というアイデアが突然閃きました。

「旧街道アプリ&街歩き」の参加者に、大山街道をテーマとした郷土史グループにも参加している方がおり、そのグループの勉強会で「ウィキペディア街道」のアイデアを披露しました。上野教授とも大山街道をテーマに何かやりたいという話をしていたので、自然な成り行きでした。


大山街道を「ウィキペディア街道」にしませんか?

残念ながら郷土史グループの方々には賛同を得られませんでした。そこで、旧東海道ハッカソンでも連携していたオープン川崎/Code for Kawasakiの利用者:Op.homataさんを誘い、Code for Setagayaの利用者:Nissy813さんも加わり、大山街道沿いのCode for Xの連携によるウィキペディア街道プロジェクトの運営体制ができました。

イベント開催地のCode for Xが主催して他のCode for Xが協力というのが、初期のイベント運営方法でした。第1回は川崎市での開催のため、主催はオープン川崎/Code for Kawasakiとなりました。


「ウィキペディア街道」プロジェクトのご紹介

さて、開催は決まったものの、Code for Xのメンバーはウィキペディア執筆に関しては全く知見がありません。そこで、ファシリテータ養成講座で講師をされていた利用者:Ks aka 98さんに相談しましたが、日程が合わず、利用者:海獺さんに当日のレクチャーをして頂くことになりました。
利用者:海獺さんは、その後もしばらくの間は毎回イベントに参加し、プロジェクトの立ち上げ時期における貢献者となりました。


ウィキペディア街道「大山道」イベントのご紹介

第1回

当日は大山街道ふるさと館の館内ガイドツアーを予定していましたが、話がうまく伝わっておらず、説明のできる職員が不在。しかし、空いた時間で利用者:海獺 さんを質問攻めにして、ウィキペディアについて多くのことを学ぶことができました。
執筆対象の溝口神社と光明寺は会場からの方向が逆のため、2グループに分かれて現地調査。川崎市立高津図書館で文献調査をしてから執筆しました。
今から思えば、内容は薄く、カテゴリやデフォルトソートの設定がない不完全な記事もありましたが、ほとんどの人が初めての執筆であるにも拘らず無事に3本の新規記事を作成することができました。この日の達成感が、その後のプロジェクト継続の原動力となりました。

第2回

第2回はCode for Setagayaとオープン川崎/Code for Kawasakiによる主催。
駅前で集合してから2グループに分かれて現地調査。食事のあと、図書館も併設されている玉川台区民センターに再集合して執筆しました。
この回から、神社・寺院の記事で汎用的に使える「テンプレート」を用意しました。このテンプレートはウィキペディア街道以外のウィキペディアタウンでも時々利用されているようです。

アーバンデータチャレンジ2015中間シンポジウム

  • 開催日:2015年9月29日
  • 会場:東京大学駒場第Ⅱキャンパス

アーバンデータチャレンジ2015の中間シンポジウムでウィキペディア街道を紹介しました。


「ウィキペディア街道」プロジェクトのご紹介

アーバンデータチャレンジ関連では、その後、2015~2016年に茨城県で、2017~2018年に岡山県でウィキペディアタウンを開催しています。

第3回

第3回は初めてのCode for Kanagawa主催。
2グループに分かれて現地調査の後、リニューアルオープンして間もないツタヤ図書館海老名市立図書館で文献調査してから執筆しました。

タウンニュース海老名版に掲載されました。

第4回

第4回は最初で最後のコラボイベントでした。
たまがわ かわらマッピングパーティ×ウィキペディア街道「大山道」と題して、郷土史会の会長による講演、OpenStreetMapのマッピング、ウィキペディア執筆の3本立てでした。
残念ながら講演目当てで午前中だけの参加者もおり、マッピングとウィキペディア執筆もあまり連携できませんでした。

Code for Japan Summit 2015

ウィキペディア街道を各地のCode for Xに知ってもらうために、Code for Japan Summitにブースを出展。暇なのでウィキペディア執筆の実演として記事も作成しました。

もくもく会

  • 開催日:2015年12月27日
  • 会場:大山街道ふるさと館(川崎市)

忘年会に集まる名目としてこれまでに執筆した記事のブラッシュアップのために企画しました。

ウィキペディア15周年記念イベント東京

  • 開催日:2016年1月24日
  • 会場:カタリストBA

ウィキペディア15周年記念イベントという晴れの舞台で、ウィキペディア街道を紹介しました。


「ウィキペディア街道」プロジェクトのご紹介

第5回

ウィキペディア街道では、運営メンバーによる事前調査を毎回実施し、イベント当日の行程を確認したり、図書館で事前にある程度の資料を揃えたりします。さらにもう一つの重要なタスクとして、執筆対象が寺社の場合には、境内での写真撮影とウィキペディアへの写真掲載の許可を頂いています。しかし、第5回の事前調査で初めて、某神社から許可を頂けませんでした。その後も何度か不許可になることがありましたが、神社よりも寺院で不許可となるケースが多くありました。
これ以降毎回イベントに参加し、ウィキペディア街道に大きな貢献をすることとなる利用者:Swaneeさんは、この回が初参加でした。

第6回

これまでは、下書きにGoogleドキュメントを使用したり、各参加者の担当分をマージするのに苦労したり、編集競合したりと、毎回、試行錯誤しながらの編集でした。
そこで、以下の編集方法を一部で取り入れました。

利用者:Nissy813さんの調べ(「ウィキペディアタウンの定量効果を分析してみた」)によると、この回に執筆した世田谷代官屋敷が、ウィキペディア街道「大山道」で執筆した記事の中で最もページビュー数が多いそうです。

第7回

横浜市は図書館が少なく、世田谷区や川崎市のような公民館(横浜市では「地区センター」)の一元的な予約システムもないため計画を立て難く、後回しになっていました。
結局、現地調査をした後、図書館と執筆会場のある隣駅まで電車で移動するという方法にしました。
この回から、マークアップと表記スタイルの簡単な説明資料を配布するようにしました。

港北経済新聞に掲載されました。

第8回

  • 開催日:2016年10月2日
  • 会場:あつぎ市民交流プラザ(厚木市)
  • 執筆記事:厚木神社厚木宿

タウンニュース厚木版に掲載されました。

Code for Japan Summit 2016

  • 開催日:2016年11月19日-20日
  • 会場:金沢区総合庁舎(横浜市)
  • 執筆記事:長津田宿

ウィキペディア街道を各地のCode for Xに知ってもらうために、Code for Japan Summitにブースを出展。相変わらず暇なのでウィキペディア執筆の実演として記事も作成しました。

もくもく会2016

  • 開催日:2016年12月18日
  • 会場:大山街道ふるさと館(川崎市)
  • 執筆記事:馬絹神社荏田城

年末恒例となった忘年会もくもく会です。

第9回

これまでは開催地域のCode for Xによる持ち回り方式でイベントを主催していましたが、次第に消極的になるCode for Xがある一方、Code for Xに参加していない運営メンバーも現れたので、第9回からは「ウィキペディア街道運営事務局」主催としました。

第10回

  • 開催日:2017年3月20日・26日
  • 会場:大山街道ふるさと館(川崎市)
  • 執筆記事:愛甲宿糟屋宿

ウィキペディア街道と言いながら、あまり街道を歩いていないので、厚木市の愛甲宿から伊勢原市の糟屋宿まで歩くこととしました。そのため、現地調査と執筆を別の日に実施しました。

第11回

街道歩きに味をしめ、伊勢原市上粕屋にある大山阿夫利神社二の鳥居から大山登山口のこま参道まで歩きました。そのため、現地調査と執筆が別の日になりました。

第12回

第13回

執筆対象のある長津田は、江戸時代には大山道(矢倉沢往還)の宿場町として栄え、現在はJRと東急線の乗換駅になっている所ですが、区内に1つだけある図書館へは徒歩30分。図書館の近くに執筆に適した施設もありません。結局、第7回に利用した図書館と執筆会場のある隣の区まで電車で移動するというコースになりました。
この回の事前調査では運営メンバーの一人が転んで剥離骨折してしまいました。ウィキペディア街道のイベントで参加者が怪我をするようなことはこれ以降もありませんでしたが、屋外での行動がある場合には不慮の事故への備えがあった方が良いと思います。

第14回

大和市の下鶴間から鶴間駅までの大山道を歩いて現地調査をし、その後、大和市文化創造拠点シリウスで文献調査をしました。歩き時間が長いので2回に分けての開催とし、2日目にはウィキデータ勉強会も実施しました。これ以降のウィキペディア街道では、記事の執筆だけではなくウィキデータの入力も実施するようになりました。


記事を書いたらウィキデータに入力しよう!

第15回

この頃になると、ウィキペディア街道プロジェクトの開始前に挙げていた執筆対象候補の多くが執筆済となりました。そのため、あと6回イベントを開催して第20回をゴールとし、2018年は江戸から大山へ向けて大山道を進むことに決めました。
その結果、青山にある梅窓院が最も江戸寄りの記事となりました。

第16回

  • 開催日:2018年4月1日
  • 会場:弦巻区民センター(世田谷区)
  • 執筆記事:駒留八幡神社

第17回

第18回

第19回

ゴールに近づいた第19回では少し趣向を凝らして、大和市下鶴間ふるさと館にある、大和市指定重要有形文化財の旧小倉家住宅母屋を執筆会場としました。
施設の所在地に在住・在勤のメンバーがいない地域では執筆会場探しに苦労しますが、幸いなことに下鶴間ふるさと館は市外者でも借りることができました。
11月の古民家はさすがに少し寒かったです。

第20回

  • 開催日:2018年12月22日
  • 会場:玉川台区民センター(世田谷区)
  • 執筆記事:大山こま日向石

最終回は「同窓会」と銘打って、これまでの参加経験者に限定し、現地調査なしで執筆のみのイベントとしました。
執筆会場は世田谷区ですが、執筆対象はゴールである大山関連となります。
当然のことながら、大山や阿夫利神社、大山寺の記事は既に書かれています。そこで、江戸時代から大山詣りの土産物として知られている大山こまと、伊勢原市内の道標等に使用されている日向石を対象としました。
運営メンバーによる事前調査として、日向石丁場の調査を実施しました。

日向石丁場4

ここは一見の価値がありますが、登山道として整備されていない踏み跡程度の山道を歩くため、残念ながら一般のイベント参加者を連れて行けるような場所ではありませんでした。

最終回には10名の参加者が集まり、無事に2本の記事を書き上げました。

2015年からの4年弱で、20回のイベント(+数回の番外イベント)を開催し、合計48本の新規記事を作成することができました。

運営メンバーの皆さん、お疲れ様でした。そして参加して頂いた皆様、ありがとうございました。